2025.07.18
教員採用試験と教育史
- #教育
- #山内研究室
今年も教員採用試験の時期となりました。受験される皆さん、暑さに気をつけつつ実力を発揮していただければとお祈りいたします。
この教員採用試験の筆記問題に、教育思想・教育史の分野から出題されることが時々あります。
過去問題集や試験対策情報を拝見すると、例えばペスタロッチー(Pestalozzi, J.H. 1746-1827)の“直観教授”については、事物を見せたり、事物に触わせたりという身体的感覚を通して、その事物を直接学習させる教授方法である、といった説明がなされていることがあります。
このような説明を読むと、そうですね、と、そうでしょうか、が自分の心のなかでせめぎ合います。
というのも、たしかにペスタロッチーは直観の原理を唱えたのですが、その一方で次のことも記しているからです。
「世界は混沌たる直観が入り乱れて流れこむ大海のような姿で、われわれの前にあらわれる。」(ペスタロッチー「ゲルトルートはいかにしてその子を教うるか」1801 / 長田新訳、 長田新編集校閲『ペスタロッチー全集』第8巻 平凡社 1960 pp.99-100)
つまりペスタロッチーは、子どもが自らの感覚器官を通じて事物を直接学ぶことを重視しつつも、もし子どもがたんに事物に見たり触れたりするだけでは、感覚器官を通じて流れ込む様々な刺激にひたすら振り回されるだけで、その事物を学ぶ・知ることに至らないおそれがある、と指摘しているのです。
現代の学校での体験的学習についても、体験して楽しかった!で終わってしまってはいけない、とよく言われますが、そのことはペスタロッチーのこの問題意識とつながるところがあるかもしれません。
ましてペスタロッッチーが当初、保護し教育しようと尽力した子どもたちの多くは、貧困などの渦中に生きていました。その子どもたちが「混沌たる直観」に振り回されず、事物を(そして人間や世界を)正しく認識できるようになるために、ペスタロッチーは有名な“数・形・語”(叙述の順番は語・形・数)にかかわる基礎的能力を提示したのではないでしょうか。
もっとも、このように考えてよいかどうかは、ペスタロッチーの著作や膨大な先行研究をきちんと繙きながら吟味する必要があるでしょう。
試験対策での“正答”はそれとしまして、現代の学校教育にも通じる問題についてじっくり考え、私たちの「混沌たる直観」を整理する機会や場所を、ぜひお持ちいただけたらと思います。